タイ旅行を計画しているあなたへ。バンコクの煌びやかな寺院やプーケットの美しいビーチを巡るのも素晴らしいですが、もし「タイ」という国の真髄に触れたいと願うなら、ぜひ映画館の扉を開いてみてください。そこには、一般的な観光では決して味わえない、忘れられない「非日常」が待っています。
映画が始まる前の数分間、突如として劇場に流れる厳かな音楽と映像。そして、観客全員が自然と起立する――。これこそが、タイの映画館で体験できる「王様賛歌」です。日本人にとっては驚きの光景かもしれませんが、この3分間の「儀式」は、タイ国民の心の奥底に流れる文化、歴史、そして国王への深い敬意を肌で感じられる貴重な機会となるでしょう。
この記事では、タイの映画館で経験する「王様賛歌」の全貌を、筆者の体験談を交えながら徹底解説します。なぜこの慣習があるのか、どんなマナーがあるのか、そしてこの体験があなたのタイへの理解をいかに深めるか。さあ、一緒にタイの奥深い文化の旅に出かけましょう。
はじめに:タイの映画館で始まる「特別な3分間」
初めてタイの映画館に足を踏み入れた日本人旅行者の多くが、映画本編よりも強く印象に残るのは、上映前に起こる「ある出来事」だと言います。それが、この記事の主役である「王様賛歌」の体験です。
この慣習は、タイ国内のどの映画館でも共通して行われます。上映開始時刻が近づくと、まずCMや予告編が流れた後、突然スクリーンにタイ国王や王室の功績を称える映像が映し出され、同時に厳かな国歌(または王室賛歌)が流れます。そしてその瞬間、場内にいる観客全員が、まるで呼吸をするかのように一斉に立ち上がります。
この一連の流れは、日本人にとって非常に新鮮であり、ある種の「異質さ」を感じさせるかもしれません。私たち日本にも天皇制や国歌斉唱の文化はありますが、日常的な娯楽の場である映画館で、国民が一斉に起立して国家元首を称える光景はほとんどありません。だからこそ、この「非日常」な体験は、私たちにタイという国の文化や価値観を深く考えさせるきっかけを与えてくれるのです。
「王様賛歌」とは?タイの映画館で必ず出会う文化体験
では、「王様賛歌」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。その内容と、背景にある国民の心情について掘り下げていきましょう。
どんな映像が流れる?
王様賛歌の映像は、主にタイ国王のこれまでの活動や、国民に寄り添う姿を捉えたものです。現在の国王であるラーマ10世(ワチラロンコン国王)の映像が流れることもあれば、国民から絶大な敬愛を受けた先代のプミポン前国王(ラーマ9世)の在りし日の姿や、王室の伝統的な儀式の様子が流れることもあります。
映像は非常に荘厳で美しく、タイの雄大な自然や、国王が国民のために行った水利事業、医療支援、教育普及などの功績が丁寧に描かれています。そして、それらの映像にシンクロするように、心に染み入るような国王賛歌のメロディーが劇場全体に響き渡るのです。この数分間は、まさにタイ国民の国王への深い敬意と忠誠心が視覚と聴覚を通して表現される時間と言えるでしょう。
なぜ全員起立するの?背景にある深い敬意と歴史
観客が「王様賛歌」の際に全員起立する理由は、タイ国民の国王に対する深い敬意と忠誠心の表れに他なりません。これは単なる形式的な義務ではなく、彼らの精神的な支柱である国王への感謝と崇拝の念が込められた、日常的な「儀式」なのです。
タイの歴史において、国王は単なる政治的リーダーではありませんでした。仏教の守護者であり、国家の独立と統一の象徴として、国民の精神的な拠り所であり続けてきたのです。特に、プミポン前国王の治世は70年以上に及び、その間、国内外の様々な危機を乗り越え、国民に寄り添い続けた姿は、多くのタイ国民の心に深く刻まれています。
このような歴史的背景と、教育を通じて幼少期から培われる王室への敬愛が、「王様賛歌」での起立という慣習を現代まで維持させているのです。国民のアイデンティティの一部として深く根付いており、この行為を通じて、タイの人々は国家への忠誠心、共同体意識、そして自身のアイデンティティを再確認していると言えるでしょう。
【体験談】タイの映画館で「王様賛歌」に触れて感じたこと
ここからは、実際にタイの映画館で「王様賛歌」を体験した筆者の個人的な感想と、その時に感じたことについてお話します。
筆者が実際に体験した映画館での出来事
私がタイの映画館で初めて王様賛歌を体験したのは、バンコク中心部のショッピングモールにあるシネコンでした。友人とコメディ映画を観に来たのですが、上映開始を待つ間、場内は他愛ない会話やポップコーンを食べる音で満たされ、普段と変わらない日本の映画館の雰囲気とさほど変わりありませんでした。
しかし、予告編が終わり、場内が少し暗くなったその瞬間、突然スクリーンに厳かな国王の映像が映し出され、同時に壮大な音楽が流れ始めました。それまで賑やかだった場内は、一瞬にして静寂に包まれました。そして、私の目の前の席に座っていたカップルが、まるで示し合わせたかのように、スッと立ち上がったのです。
私も「え?」と戸惑いながらも、隣の友人の顔を見て、周りを見回しました。すると、ほとんどの観客がすでに起立しており、その場の空気が一変したことに気づきました。私も慌てて席を立ち、周囲のタイ人観客に倣って、直立不動の姿勢でスクリーンを見つめました。
周囲のタイ人観客の様子と、私自身の感情の変化
私が特に印象的だったのは、周囲のタイ人観客の起立する姿勢でした。皆、自然体でありながらも、その表情は真剣で、国王の映像をじっと見つめていました。彼らの中には、手で胸元に手を当てたり、目を閉じて深く敬意を表している人もいました。そこには、何の迷いも、不満も、形式的な義務感も感じられませんでした。むしろ、誇りや愛情、そして深い安心感のようなものが漂っているように見えました。
最初は「何だろう?」「どうすればいいの?」という戸惑いや、異文化に触れる緊張感がありましたが、彼らの姿を見ているうちに、私の心の中にも次第に厳粛な気持ちが湧き上がってきました。言葉は分からずとも、映像と音楽、そして何よりもその場の「空気」が、タイ国民の国王への深い感情を私に伝えてくれたのです。
3分間の「王様賛歌」が終わると、再び観客は自然に席に着き、何事もなかったかのように映画本編が始まりました。その短い時間の中で、私はタイという国の根底にある文化、価値観、そして国民性を、肌で感じ取ることができた気がしました。それは、単なる観光では決して得られない、非常に貴重で感動的な体験となりました。この体験は、私にとってのタイ旅行のハイライトの一つであると断言できます。
タイの「王様賛歌」体験前に知っておくべきマナーと注意点
タイの映画館で「王様賛歌」を体験する際は、旅行者として知っておくべきマナーと注意点がいくつかあります。これらを守ることで、より深く異文化を理解し、現地の人々との間に不要な摩擦を生むことなく、素晴らしい体験ができるでしょう。
起立するタイミングと姿勢
映画館で王様賛歌の映像が流れ始めたら、周囲のタイ人観客が立ち上がるのを見て、速やかに起立しましょう。タイミングが分からなくても、周りの動きに合わせれば問題ありません。起立中は、直立不動の姿勢でスクリーンを見つめるのが一般的です。おしゃべりをしたり、スマートフォンをいじったりすることは避け、厳粛な態度で敬意を表しましょう。
不敬罪について知っておくべきこと
タイには、国王・王室を批判したり侮辱したりする行為に重い罰則が科される「不敬罪(Lèse-majesté)」という法律が存在します。これは非常に厳格に適用され、外国人旅行者であっても例外ではありません。王様賛歌の際に起立しない、不適切な態度をとる、国王や王室に対する批判的な発言をするなどの行為は、不敬罪に抵触する可能性があり、逮捕や投獄といった重い処罰を受ける可能性があります。
そのため、タイ滞在中は、国王・王室に対して常に最大限の敬意を払い、言動には細心の注意を払う必要があります。特に映画館での王様賛歌の際は、決して冗談半分で起立を拒んだり、無礼な態度をとったりしないようにしましょう。これは、文化的な体験であると同時に、法的な側面も持つ重要な慣習であることを理解しておく必要があります。
スマートフォンでの撮影はNG?
王様賛歌の映像や、観客の起立している様子をスマートフォンで撮影したいと考える方もいるかもしれません。しかし、これは原則として避けるべきです。映画館での撮影自体が禁止されていることが多く、また、王様賛歌は神聖な儀式と捉えられているため、軽率な撮影行為は不敬と受け取られる可能性があります。
感動を記録したい気持ちは分かりますが、その場の雰囲気や文化への敬意を最優先し、心の中にその光景を刻むにとどめるのが賢明です。どうしても記録に残したい場合は、映画館を出てから、その時の感動や状況をメモに残すなど、他の方法を検討しましょう。
王様賛歌から読み解くタイ文化の根幹
タイの映画館での「王様賛歌」体験は、単なる珍しい習慣として片付けるにはあまりにも奥深いものです。この儀式は、タイという国の歴史、国民性、そして文化の根幹を象徴していると言えるでしょう。
国王と国民の絆:歴史的背景と現代の役割
タイの国王は、長きにわたり国民統合の中心であり続けてきました。特に近代に入っても、植民地化の危機を乗り越え、国民の生活向上に尽力してきた歴代国王の存在は、国民にとって誇りであり、安心感を与えてきました。国王は、国民にとって「父」のような存在であり、その絆は非常に強固です。
この強い絆は、タイの社会安定にも大きく寄与しています。政治的な混乱や社会的な課題に直面した際にも、国王の存在が国民の心を一つにし、困難を乗り越えるための精神的な支えとなってきました。王様賛歌は、この「国王と国民の絆」を可視化し、日常の中で再確認する重要な役割を果たしているのです。
仏教との深い関連性
タイの王室は、仏教と非常に深く結びついています。タイの国王は、仏教の「ダルマの王(法王)」として、仏教の保護者としての役割を担っています。国民のほとんどが仏教徒であるタイにおいて、国王が仏教の中心にいることは、国民からのさらなる尊敬と信頼を集める大きな要因となっています。
王室の儀式や行事には、仏教の要素が色濃く反映されており、国民もそれを自然に受け入れています。映画館での王様賛歌も、ある意味で仏教的な厳粛さや、目に見えない「聖なるもの」への畏敬の念が込められていると解釈できるかもしれません。
異文化体験が教えてくれる「常識」の相対性
この「王様賛歌」の体験は、私たち日本人にとって、自身の「常識」がいかに文化的・歴史的に構築されたものであるかを認識させる良い機会となります。日本における「当たり前」の行動や価値観が、一歩国を出れば「非日常」となり、時には「非常識」と映ることもあるのです。
異文化体験は、まるで自分自身を映し出す鏡のようなものです。タイの「常識」に触れることで、日本の文化の特異性や、多様な社会が存在することの意義を改めて認識できます。この気づきは、グローバル化が進む現代において、異なる背景を持つ人々を理解し、尊重するための第一歩となるでしょう。タイの映画館で過ごす3分間は、あなたの世界観を広げ、異文化への深い洞察を与えてくれる貴重な時間となるはずです。
まとめ:タイの映画館での「王様賛歌」体験は、旅のハイライトになる
タイの映画館で体験する「王様賛歌」は、単なる映画鑑賞前の短い時間ではありません。それは、タイという国の歴史、文化、そして国民の心の奥底に流れる深い敬意と絆を肌で感じられる、かけがえのない異文化体験です。
最初は戸惑いや緊張を感じるかもしれませんが、周囲のタイ人観客の厳粛な姿に触れることで、きっとあなた自身の心にも、異文化への理解と深い感動が湧き上がってくることでしょう。この体験は、単なる観光スポット巡りでは得られない、タイの真の姿を教えてくれます。
タイへの旅行を計画しているなら、ぜひ一度、現地の映画館に足を運んでみてください。そして、映画が始まる前の「特別な3分間」を、タイの人々と共に体験し、その感動を心に刻んでください。きっと、あなたのタイ旅行は、他では味わえない、忘れられないハイライトとなるはずです。この小さな一歩が、あなたの異文化理解を深め、旅の価値を何倍にも高めてくれることを心から願っています。
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