なぜタイには野良犬・猫が多い?仏教の慈悲が生んだ共存社会の課題

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タイの街を歩くと、道端で寝そべる犬や猫、寺院の境内で日向ぼっこをする姿をよく見かけます。彼らは野良動物のようにも見えますが、地域の人々が餌を与えている光景も珍しくありません。「なぜこんなにたくさんの動物がいるんだろう?」「どうしてこんなに寛容なんだろう?」そんな疑問を抱いたことはありませんか?

この記事では、タイで犬猫が多い理由を、仏教の深い教えから文化、そして現代社会が抱える課題まで、多角的に掘り下げていきます。タイの「ソイ・ドッグ(Soi Dog)」と呼ばれる野良犬・猫たちが教えてくれる、人間と動物の特別な共存の形。その背景にある慈悲の精神と、私たちが知っておくべき現実について、一緒に理解を深めていきましょう。この旅を通じて、きっとタイの街の風景が、より一層意味深く感じられるはずです。

タイで犬猫が多い3つの文化的背景

タイを訪れる人々が共通して抱く疑問の一つが、「なぜこんなにも野良の犬や猫が多いのだろう?」というものです。バンコクの喧騒の中、寺院の静寂の中、あるいは地方の小さな村の道端でも、彼らは当たり前のように存在しています。この独特な光景は、タイの社会に深く根付いた宗教的・文化的背景抜きには語れません。

1.仏教の教え:「慈悲」と「輪廻転生」が育む動物愛護

タイは熱心な仏教国であり、その中でも「上座部仏教」の教えが人々の生活と精神の基盤を形成しています。上座部仏教において、すべての生きとし生けるものへの「慈悲(メッター)」の心は、非常に重要な価値観です。

慈悲とは、相手の苦しみを取り除き、幸福を願う心のこと。それは人間だけでなく、動物に対しても向けられます。また、「輪廻転生」という考え方も深く影響しています。人々は、自分自身が過去世で動物だったかもしれない、あるいは来世で動物として生まれる可能性もあると信じています。このため、動物の命を軽んじたり、むやみに傷つけたりすることは、仏教の教えに反すると考えられるのです。

動物たちは、人間と同様に輪廻の苦しみを経験する存在であり、現世で困難な状況にある動物に手を差し伸べることは、功徳(良い行い)を積むことにつながると信じられています。この思想が、タイ社会における動物への根本的な寛容さの源となっていると言えるでしょう。

2.功徳を積む文化:「タンブン」としての餌やり

タイで野良犬・猫に餌を与える人々を見かけるのは、前述の仏教の教えと深く関係しています。困っている動物に食べ物を与える行為は、「慈悲の実践」であり、「功徳を積む」重要な手段とされているからです。

特に寺院の周辺では、僧侶や地域住民が日常的に野良犬・猫に餌を与えている光景を目にします。これは、単なる親切心だけでなく、自らの来世での幸福や家族の健康を願う「積徳(タンブン)」という行為の一環でもあります。人々は、動物への施しを通じて、精神的な満足感や安らぎを得ると同時に、目に見えない良い縁や報いがあることを信じています。

この文化が根付いているため、野良動物たちは飢えから免れることができ、生存しやすい環境が形成されています。結果として、個体数が自然と増えやすい状況が生まれているのです。しかし、この「慈悲の餌やり」が、後述するような新たな課題を生み出している側面も存在します。

3.「ソイ・ドッグ」に象徴される独自の共存スタイル

タイの野良犬は、しばしば「ソイ・ドッグ(Soi Dog)」と呼ばれます。「ソイ」はタイ語で「路地」や「脇道」を意味し、文字通り路地で暮らす犬たちを指します。彼らは単なる「野良犬」というよりは、地域社会の一部として、ある程度の役割と場所を与えられて共存している存在と言えるでしょう。

多くのソイ・ドッグは、特定の地域に縄張りを持つ群れで生活し、近隣住民から餌をもらいながら暮らしています。中には、まるで飼い犬のように人懐っこく、店の番犬のような役割を果たしている犬もいます。人々は、彼らを完全に無視するのではなく、その存在を認め、時には名前をつけて呼ぶこともあります。

この「半ば公認された共存」のスタイルは、タイの動物に対する独特な価値観を象徴しています。欧米諸国のような徹底した動物管理や収容政策とは異なり、タイでは動物の自由な生を尊重しつつ、地域コミュニティの中でゆるやかな共生関係を築いてきた歴史があるのです。この共存の形は、異文化を体験する観光客にとっては興味深い光景ですが、同時に現代社会が直面する動物福祉の課題も内包しています。

タイの犬猫が直面する3つの深刻な課題

タイにおける野良犬・猫の多さは、仏教の教えに基づく慈悲と共存の文化という美しい側面を持つ一方で、現代社会において深刻な現実的課題も引き起こしています。慈悲と無責任の境界線が曖昧になることで生まれる、動物と人間の両方にとっての困難について見ていきましょう。

課題1:急増する個体数と避妊去勢の遅れ

人々による餌やり文化と、避妊去勢手術が十分に普及していない現状が相まって、タイの野良犬・猫の個体数は爆発的に増加しています。正確な統計は難しいものの、タイ全土には数十万から数百万匹の野良犬猫が存在すると推測されており、特に都市部での過密化が問題視されています。

個体数の増加は、動物自体の福祉を脅かします。十分な食料や安全な寝床が確保できず、飢餓や病気、交通事故によって命を落とす動物が後を絶ちません。また、幼い子犬や子猫が次々と生まれては、厳しい野外生活を余儀なくされています。

避妊去勢手術は、こうした個体数増加の根本的な解決策として世界中で認識されていますが、タイではまだその普及が進んでいません。費用の問題、動物病院へのアクセス、そして「動物の自由を奪うことへの抵抗」や「自然の摂理に反する」という文化的・宗教的感覚も、普及を妨げる要因となっています。

課題2:公衆衛生と狂犬病のリスク

野良犬・猫の増加は、公衆衛生上の深刻な問題も引き起こします。糞尿による街の汚染、ゴミの散乱、そして病気の媒介などが挙げられます。特に懸念されるのが「狂犬病」のリスクです。タイは狂犬病の発生地域であり、野良犬からの感染は、人間にとっても重大な脅威となります。

狂犬病は、発症するとほぼ100%死に至る恐ろしい病気です。野良犬に咬まれた場合、速やかに医療機関でワクチン接種を行う必要があります。しかし、情報が行き届いていない地域や、医療アクセスが限られた人々にとっては、この対応も容易ではありません。政府や動物愛護団体は狂犬病予防キャンペーンを実施していますが、広大な地域と膨大な数の動物に対して、十分な対策を講じることは困難を極めています。

この問題は、単に動物だけの問題ではなく、人間の健康と安全にも直結する、喫緊の課題として認識されています。

課題3:行政の保護・管理体制とTNR活動

タイには「動物福祉法(Animal Welfare Act)」が存在し、動物の虐待を禁じたり、飼い主の責任を定めていますが、野良動物の「管理」に関してはまだ発展途上の段階にあります。行政による野良動物の保護・管理体制は、予算、人員、施設のいずれにおいても十分とは言えません。

多くの場合、野良動物問題は動物愛護団体や個人のボランティアに委ねられているのが現状です。捕獲した動物を一時的に保護するシェルターは存在するものの、その収容能力には限りがあり、安楽死の選択を迫られるケースも少なくありません。しかし、仏教国のタイでは、命を奪うことへの倫理的抵抗が非常に強く、安易な安楽死は受け入れられにくい風潮があります。

そのため、TNR活動(Trap-Neuter-Return: 捕獲・不妊去勢手術・元の場所に戻す)が主要な対策として推進されています。これは、動物の命を奪うことなく個体数増加を抑制し、地域社会と動物の共存を目指す方法として、多くの動物愛護団体が力を入れています。しかし、TNR活動も広範囲に実施するには莫大な費用と労力がかかり、行政とNGOのさらなる連携強化が求められています。

【観光客向け】タイの犬猫との安全な接し方 2つのポイント

タイの街を歩く観光客にとって、野良犬・猫は異文化の一部であり、可愛らしい存在に映るかもしれません。しかし、その背景にある文化と課題を理解した上で、彼らとどのように接するべきかを知ることは、責任ある観光行動にとって非常に重要です。

ポイント1:安全のため、むやみに触ったり餌を与えたりしない

タイの野良犬・猫は人懐っこい子もいますが、決して全ての動物が安全ではありません。中には、狂犬病のリスクを持つ動物もいるため、特に理由がない限り、無闇に触れることは避けるべきです。もし噛まれたり引っ掻かれたりした場合は、狂犬病の危険性を考慮し、速やかに最寄りの医療機関を受診してください。

また、不用意な餌やりも避けるのが賢明です。慈悲の心から餌を与えたくなる気持ちは理解できますが、それが個体数のさらなる増加や、特定の場所への集中的な野良動物の集中を招き、衛生問題や近隣住民とのトラブルの原因となる可能性があります。また、人間から食べ物をもらうことに慣れてしまうと、自分で食料を探す能力が低下したり、人間への依存度が高まったりすることもあります。

もし餌を与えるのであれば、地域住民が管理している場所や、動物愛護団体が推奨する場所で、適切な食事を与えるようにしましょう。何よりも、彼らが野生の動物であるという認識を忘れないことが大切です。

ポイント2:信頼できる動物愛護団体への寄付で支援する

タイの犬猫問題に対して何かしたいと感じるなら、間接的な支援が最も効果的で責任ある方法です。

  • 信頼できる動物愛護団体への寄付: 「ソイ・ドッグ・ファンデーション(Soi Dog Foundation)」をはじめとする多くの団体が、TNR活動、ワクチン接種、病気や怪我の治療、そして動物の保護・譲渡活動を行っています。これらの団体への寄付は、動物たちの命を救い、個体数管理に貢献する直接的な支援となります。
  • ボランティア活動: もし長期滞在の機会があるなら、動物愛護団体でのボランティア活動に参加することもできます。清掃、餌やり、動物の世話、そしてTNR活動の補助など、多岐にわたる活動があります。
  • 情報発信: タイの犬猫問題に関する正しい知識を共有し、友人や家族に伝えることも、間接的な支援となります。意識の向上は、持続可能な解決策を見つける上で不可欠です。

タイの動物たちとの出会いは、あなたの旅に深い感動をもたらしてくれるでしょう。その感動を、動物たちの未来をより良くするための行動へとつなげることで、より心豊かな旅になるはずです。

まとめ:タイの犬猫問題から文化を学び、旅をより深いものにしよう

タイの街で出会う多くの犬や猫。その背景には、単なる「野良」という言葉では片付けられない深い理由があります。この記事の要点を以下にまとめます。

  • 文化的背景: 仏教の「慈悲」と「輪廻転生」の教えが、動物への寛容な精神を育んでいます。
  • 人々の習慣: 困っている動物に餌を与えることは「功徳を積む」行為とされ、地域社会に根付いています。
  • 現代的な課題: 一方で、避妊去勢の遅れによる個体数増加、狂犬病などの公衆衛生リスクが深刻化しています。
  • 共存の模索: 行政やNPOは、命を尊重しつつ個体数を管理するTNR活動などを通じて、問題解決に取り組んでいます。

この光と影の両面を理解することで、タイの風景はより一層味わい深いものになります。動物たちの存在を通してタイの文化や社会を見つめ、彼らへの敬意を忘れない責任ある行動を心がけましょう。

タイの仏教と文化の奥深さを、さらに理解する次の一歩!

タイで犬猫が大切にされる背景にある仏教の教えと共存社会の精神は、この国の文化を理解する鍵となります。さらにタイの精神世界を探求するなら、身近な信仰の形である「タイの「精霊の家 サーンプラプーム」の意味とは?仏教国に息づく多層的信仰の謎を解き明かす」で、その多層的な信仰に触れてみませんか?また、タイ仏教が育んだ寛容な社会の側面を深く知るためには、「【徹底解説】タイでニューハーフが多いのはなぜ?仏教と寛容文化の深層に迫る」も必読です。

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チェンライ日本人会は、タイ北部チェンライに在住する日本人団体です。文化講座、交流会、イベントなどを通じて、地域の日本人コミュニティの構築と活性化を目指しています。
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